葬 儀
そうぎ
浄土真宗では、人が亡くなった後の世界について、等しく「浄土」に救われると説かれています。
生前、何をしたとかしなかったとか、お金持ちであったとかそうでないとか、男であるとか女であるとかといった、この世の区別や差別とは無縁の、浄らかな平等な世界が浄土であると説かれます。
少しでもいい世界にまた生まれて欲しいと祈る、いわゆる「故人に対する供養」としてではなく、また会えるまでのこのいのちを、精いっぱいに生きる糧としての教えに触れる大切な場が、私たちの葬儀です。
決して永遠の別れではありません。やがてまたお会いできる世界があります。遠くに行ってしまわれたのではなく、あるいは私たちの胸の中にしっかりとお住まいになっておられます。
この悲しみをご縁として、普段の日暮らしの中ではあまり近づくことのなかった「仏の教え」に、少しでも近づき、また触れていただきたいと存じます。それがまた故人の残してくださった教えなのかもしれません。
【臨終勤行】
人生の終わりに臨んで、永年お育てにあずかった仏さまに対する御礼のおつとめです。慌ただしいときですが、皆で静かに着座しましょう。(俗に枕経ともいいます)
【通夜】
文字通り夜を通して故人を偲びつつ、阿弥陀仏の「救い」を味わうおつとめです。悲しみの中の法要をまたご縁として、自らのいのちを深く見つめ直しましょう。
【葬儀】
尊い人生の最後にあたって、故人の生前を偲びながら、仏法を深く味わう儀式です。懐かしい方にもお会いするでしょうけれど、お話は式を終えてからに。
【中陰法要】
初七日からの期間を中陰といい、四十九日で満中陰となります。死者への追善ではなく、これからの人生を生きる私たちにとっての、深く仏法を味わう法要です。
浄土真宗では本来「位牌」は使いません。お葬儀にあたっては、法名を掲示する板として便宜的に用いますが、その後は「過去帳」に記載します。葬儀以後の法要は、その過去帳にておつとめします。